2019年2月4日月曜日

駅のベンチで平和を語る

久々のプラス気温の一日。手稲駅通路では、3日スタンディングが行われました。少し早めに到着して待機していた時にベンチに座っていた男性が「共産党は消費税に反対しているのかい」とプラスターを見て声をけてくれました。「そうなんです。上げない方が景気対策になると訴えて、これからスタンディングするんです」「共産党も変わったね」と共産党に対するイメージや、市民と一緒になって運動する野党共闘の運動スタイルに関心を持ってくれていました。私は得意の「手稲に住んでもう長いんですか?」と声をかけ、ベンチの横に座って対話が始まり、その男性の生まれや、生い立ちを聞いて、平和の想いを強くしました。満州で生まれ、戦争が終わって3才で引き上げてくる直前にお父さんを亡くされ、引き上げ船の中でお母さんを亡くされ。兄弟4人は、バラバラに育てられたそうです。男性は、京都の養護施設で育ったと。思わず「おじさん、私も施設で育ったんです。」「そうかい」でもその男性が育った時代は、戦後の食糧難。残飯を集めて豚に餌をやり、養豚場で働き、施設を出て、雑品屋で住み込みで働き、ささやかな食事と寝床のみで賃金は払われなかったそう。駅にいた時、「お兄ちゃんタダで資格を取れるから自衛隊に入らないかい」と勧誘され、6年間自衛隊勤務(滝川)「私も滝川で生まれたんです」「そうかい」そのあと日産に定年退職まで勤めたそうです。「ゴーンさんと働いたんですか?」「イヤ、俺が辞めた後に来たね」「今の政治酷いですよね」「そうだ、アベは、ダメだ」「憲法変えちゃだめですよね」「そうだ」「国策に振り回されてご苦労されたんですね。政治変えるために頑張りますから」「そうだ、共産党頑張ってよ」平和を願う気持ちでは、しっかり連帯出来ました。2度と戦争の歴史を繰り返さないように、やっぱり政治を変えたいと強く思いました。父と同じ満州から引き揚げてきた77歳の男性の壮絶な人生を想像して、3日スタンディングの行動を続けてきたこその出会いに感謝していました。

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